道化を演じることが人間への求愛

今日の名言
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、
人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どう
しても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この
道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。
おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、
それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、
油汗流してのサーヴィスでした。
(「人間失格」より新潮文庫)

人間失格の主人公、大庭葉蔵が自分の家族も含め、自分
以外の人間を理解できず、かろうじて人間とつながる術が
道化を演じることだったという、とても悲しい生き方が描か
れています。

常に不安に苛まれ、恐怖を感じ、発狂寸前で生きている自分
と異なり、なぜ周囲の人間は自殺もせず、発狂もせず暮らして
いけるのかが理解できないのです。

このように感じる主人公は、神経が非常に細やかで純粋すぎ
るくらい純粋ですね。

我々のような、さほど神経が細やかでなく、純粋でもない人間
は、知らず知らずのうちに、こんなものだという、認識や諦め、
妥協をするようになっていますから、発狂せずにすみます。

しかし純粋すぎると、人間のおかしいと思うところは、おかしい
わけで、それをこんなものだと簡単に認識することはできない
のでしょう。

だから自分の不安、恐怖を隠すために道化を演じるのです。

でも、発狂もせず自殺もせず、日々諦観の思いで生きている
我々のような人間の方が、実は精神を病んでいるのかもしれ
ません。
人間失格改版 [ 太宰治 ]
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