幸福感とは悲しみの果てに感じる不思議な薄明り

今日の名言
幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに
光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの
限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感
というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、
たしかにいま、幸福なのである。」(「斜陽」より)

昔、十分に辛い思いをした人が幸せになるという言葉を
ある人が言われていました。

貴族として不自由のない暮らしをしていた主人公のかず子
らは、戦後の華族制度の廃止や多額の税金によって没落
します。

また、そんな中でかず子の母は病に伏せ、弟の直治は大麻
中毒に苦しみ、生きることそのものに苦しみます。

そしてかず子自身は、既婚者である作家上原に対する恋愛感情
そして、会いたいという思いにに苦しむのです。

このように苦しい悲しい辛い思いの先に、感じられる幸福感という
ものは、他人には理解できない、何かを超越したところに存在す
るものなのでしょうか。

とにかく、この名言の幸福感というのは、あまりにも切なすぎて、
言葉がありません。
斜陽改版 [ 太宰治 ]

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