今日の名言
「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかって
いる。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけ
ない。寂しいときに、寂しそうな面容をするのは、それは偽善者
のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさ
らに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じてい
るならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に
洗い、頭に膏を塗り、微笑ほほえんでいなさるがよい。わからな
いかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見え
ないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったな
ら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰に
だって在るのだよ」
(「駈込み訴え」より「走れメロス」新潮文庫収録)
何度か書いてきていますが、聖書に影響を受けた太宰治の考え方
が、ここにも垣間見えます。
寂しい時に寂しそうな面容をするのは、偽善者のすることだと
いうのは、普通の凡人にとっては、かなり手厳しい言葉ではないで
しょうか。
しかし、これをあえて偽善者とまで言い切る太宰治は、そこに
おのれが寂しさを人にわかって貰おうととしてことさら顔色を変え
て見せているだけと、打算的な発想を読み取っているからこそ、
あえて厳しく偽善者だと表現するのではないでしょうか。
誰でも、自分の寂しさや辛さを人に理解してもらいたい時もあり
ますが、そこを敢えてぐっと堪えることが、その人自身を強くし
人間的な成長に繋がるんだと思います。
ここにまた太宰治の、我が身可愛さしか考えない打算的、また自己保身
しか考えない偽善的なところのある人間を嫌う考え方が、よく分かる
ような気がしました。