生きる事に必死で、重厚や誠実や美徳は役立たない

今日の名言
これから東京で生活して行くにはだね、コンチワァ、という
軽薄きわまる挨拶が平気で出来るようでなければ、とても駄目
だね。いまのわれらに、重厚だの、誠実だの、そんな美徳を要
求するのは、首くくりの足を引っぱるようなものだ。重厚?
誠実?ペッ、プッだ。生きて行けやしねえじゃないか。もしも
だね、コンチワァを軽く言えなかったら、あとは、道が三つしか
無いんだ、一つは帰農だ、一つは自殺、もう一つは女のヒモさ
(「斜陽」より)

戦後間もない時代に生きることは、想像を絶するほどの困難が
あったこととは思います。

だから美徳、重厚、誠実などという精神論では、お腹はふくれ
ないわけです。しかもそんな精神的な正しさというのはどこに
あるのか、戦時中と戦後で180度変わった日本においては、全く
分からなかったことでしょう。

なので余計に美徳などどいうのは、普通に生活していく上で意味
をなさない、何なら悪に染まったほうが生きやすいくらいだった
のかもしれません。

そうなれば開き直るしかないですね。軽薄に生きるしかない、
若しくは死を覚悟して酒に溺れるしかないでしょうね。あとは
女のヒモになるか。農業を行うか。

限られた選択肢しかない状態で、本当に生きる意味が見出だせ
ないそんな時代であったのだと思います。
斜陽改版 [ 太宰治 ]

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