愛する、愛されることは幸せ?不安?

今日の名言
惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、
ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂
「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔
を出すと、みるみる憂鬱の伽藍が崩壊し、ただのっぺらぼうに
なってしまうような心地がするもですけれども、惚れられる
つらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう
文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはなら
ないようですから、奇妙なものだと思います。
(「人間失格」より新潮文庫)

「惚れる」「惚れられる」は、下品で、ふざけて、やにさがった
感じの言葉なんですね。

確かに辞書的な意味も、異性に対して心惹かれ、夢中になる
という意味なんです。異性に対する思いが前提なんです。
(心意気に惚れるなどの使い方もありますが)

でも、「愛する」は違いますね。確かに異性に恋するという意味
もあるんですが、基本的に「親子愛」、「兄弟愛」といった言葉
があるように、異性に対する思いが前提ではないんです。

太宰治は、「チャンス」という作品のなかでも『「愛」は困難な
事業である。「神」にのみ特有な感情かもしれない』と言ってます。

そういう意味でも、「愛する「愛せられる」」という言葉は、
「惚れる」「惚れられる」という言葉と違い、文学的なのでしょう。
人間失格改版 [ 太宰治 ]
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