図々しく生きることで、世間を生き伸びる

今日の名言
「世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来た
ような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その
場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して
人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえし
をするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、
生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称えてい
ながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、
世間の難解は、個人の難解、大洋(オーシャン)は世間でなくて、
個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、
多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣い
する事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々
しく振舞う事を覚えて来たのです。
(「人間失格」より新潮文庫)

世間や世の中とは、自分を取り巻く周囲の人間の複数に対して、
いつも平穏に、穏やかに、和やかになるようにしていないといけ
ない、そうでないと自分に対して、いかなる危害や復習を企てる
かもしれないと、常に恐怖を感じないといけない、そのような場
だと主人公の葉三は思っていたのでしょう。

しかし世間は、意外にもそんなに恐ろしいところではないと
感じ始めます。そして個人に対して一本勝負で勝てばいいという
ように、結局対世間とは対個人であると考えます。その一本勝負
に勝つために、図々しく振舞うことを覚えるわけです。

多かれ少なかれ、世の中や世間というものに対して、気遣いや
配慮をして生きているつもりですが、それは結局誰か一個人に
対するものなのかもしれません。

結局その場その場における、人間という対一個人が、自分が生
きていく上でどういう対象なのかで、気遣いをするか、一本勝負
で勝ちに行くのかが決まるのかもしれません。

でも、世間や世の中はこんな単純な二者択一で決まるものでは
なく、もっと複雑怪奇なところでしょう。しかし、主人公の葉三
のように必要以上に世の中を恐れることはなく、ある意味図々し
さを持つことも必要かもしれません。

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