人間不信が生活に充満

今日の名言
互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の
傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついて
いないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るく
ほがらかな不信の例が、人間の生活に充満している
ように思われます。けれども、自分には、あざむき合って
いるという事には、さして特別の興味もありません。自分
だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいて
いるのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい
う道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、
あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、
或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解
なのです。」 (「人間失格」より新潮文庫)

人間は難解な生き物なのかもしれません。確かにお互い
を欺き合って生きているのに、平気な顔をして暮らしている
のですから。

しかし、我々は知らず知らずのうちに、己の感情の全てを
曝け出すさずに、我慢すること、余計なことは言わずに我慢
することを覚えてしまっています。

自分の全てを曝け出すことは、人間生活がうまく行かなくなる
ということを理解しています。だから、相手が全て本音で話して
いないと分かっていても、それだけで不信感をもつことはない
です。

でも、この人間失格を読めば読むほど、そういう欺き合いが
あるにも関わらず、清く正しく自信を持っているみたいに生き
られることは、果たして正常なんだろうかと思えてくるんです。

自分の中では、あくまで人間生活を円滑に進めるために、
自分の全てを曝け出さず、計算・打算もありだと思っている
のですが、そういう風に思ってしまっていることが、正常な
神経だと言えるのかが、よく分からなくなってきます。

出来ることなら、純粋さを忘れずに、ありのままの自分を全て
見せられればいいのですが、現実生活はそうもいかないところ
が、非常に悩ましい、生きることの難しさを痛感してしまいます。
人間失格改版 [ 太宰治 ]
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